「日本語」の話題ではないのに「日本語の本棚」に掲載して恐縮です。そのうち「英語のbookshelf」を作ろうかな
「磁石と磁器」を書こうとして、英語のmagnetとmagnesiumも、関係ないはずなのに似ているな、と気がついた。
まず大きな英和辞典を見ようと図書館へ行き、ランダムハウス英和大辞典を引いてみた。magnetの語源はギリシャ語の
であり、さらに
は
、「Magnesiaの(石)」の短縮形
の対格(目的格)であり、「Magnesiaは小アジア、リディア(Lydia)にある町の名」とも書かれている。どうやらmagnetは地名からきているらしい。
続いてmagnesiumを調べる。元素名としてのmagnesiumは1808年に命名されたが、語源としては近代ラテン語で、magnesiaを見よとのことである。magnesiaは酸化マグネシウム(MgO)のことで、便秘薬としてマグネシアの名で商品にもなっている。magnesiaの語源もギリシャ語で、
、「Magnesiaの(石)」とあり、magnetの項にあるのと語尾が違うだけでほぼ同様である。結局、magnetとmagnesiumは語源が同じであることがあっさりわかってしまった。
ちなみに同辞典では、Magnesiaの項には「Manisaの古代名」とある。マニサはトルコの西部、イズミルに近い町である。magnetの項にあった「リディア」(リュディア)は紀元前に小アジア(アナトリア半島)の西半分を占めた国なので、つじつまは合う。
さて、一つの町の名が、なぜ磁石とマグネシウムの両方の語源になったのか。ウィキペディアなどを駆使して調査にかかった。
まず「マグネシア」という地名であるが、現在もギリシャの行政組織として「マグニシア」県が存在する。場所は小アジアではなく、ギリシャ本国のテッサリア地方(エーゲ海沿岸)である。この地名はそこに住んだ「マグネテス人」(Magnetes)に由来するという。さらにこのマグネテスは、ギリシャ神話の主神ゼウスと、テュイアーという女神の間に生まれたとされる(異説あり)「マグネース」(
)に由来するという、かなり由緒正しい名前である。
このテッサリアのマグネシアから、小アジアに人々が入植し、同じ名前の二つの都市を建設した。一つが現在のマニサであり、もう一つもアナトリア半島西端の町である。
地名として3か所の「マグネシア」が存在するが、magnetやmagnesiumの語源となったのはこのうちどこか。「ランダムハウス」を鵜呑みにせず、調べてみる。
ウィキペディアによると、本国テッサリアのマグネシアには、「滑石の鉱山があり、滑石から作られた白色の粉はマグネシアと呼ばれた。ここからマグネシウムの語源となっている。」とある(「マグニシア県」のページ)。となると小アジアのマグネシアは関係ないことになる。続けて、「マグネット(磁石)の語源であるとする説もあるが、これには異説もある。」とあるが、同じページの「歴史」の項には、「この地域では鉄鉱や
磁鉄鉱だけでなく、マグネシウムやマンガン(双方とも名称はこの地域に由来する)が産出されることが、古くから錬金術師達に知られていた。」(下線引用者)とある。
ウィキペディアの「磁石」のページに、
古代ギリシアでは、鉄を引き寄せる石として磁石はすでに知られていた。プラトンは、その著書『イオン』にて「マグネシアの石」として磁石のことを言及している。ローマ帝国の博物学者大プリニウスは、著書『博物誌』にて、マグネスという羊飼いが磁石を偶然発見したと述べている。この「マグネシアの石」ないし「羊飼いマグネス」が、ヨーロッパの様々な言語で磁石を指す言葉である magnet の語源になったと考えられる。
との記載がある。これを手がかりにさらに調査を進めた。
「イオン」は吟誦詩人イオンとソクラテスの対話のかたちを取った作品である。「プラトン全集」(岩波書店)で見てみると、ソクラテスの言葉の中に「それはむしろ、神的な力なのだ、それが君を動かしているのだ。それはちょうど、エウリピデスはマグネシアの石と名づけ、他の多くの人びとはヘラクレアの石と名づけている、あの石にある力のようなものなのだ。」とある。プラトン自身の名付けではなく、エウリピデス(BC5世紀の悲劇詩人)の言葉であった。この本の「エウリピデス」の注に、「その断片(571)に、『マグネシアの石のように、意見を引きよせたり変えたりする人』、というような言葉が残されている」とあるので、同じ岩波書店の「ギリシア悲劇全集」で断片571を閲覧したが、全く違う文章が掲載されていて、調査は行き詰った。しかし、もう一つの「ギリシア悲劇全集」(グーテンベルク21社)に、エウリピデスが「テッサリアのマグネシアで多くの栄誉を与えられた」という解説もあり、少なくともこの土地に来ていることは確かなようだ。
次に「プリニウスの博物誌」(AD77、訳書:雄山閣出版)を閲覧した。これも別人の説の引用で、「ニカンドロス(引用者注:BC2世紀のギリシャの詩人)によると、それは、その発見者の名前から『マグネス』と呼ばれたもので、(中略)マグネスは、彼が家畜の群を放牧していたとき、自分のサンダルの鉄釘と杖の先端がそれにくっついたので、その石を発見したのだと。」とある。これがウィキペディアの出典であろう。しかしそれに続いて、「ソタクスは5種類の磁石について記述している。」とあり、その第2は「マグネシア産」、第5は「アシアのマグネシア産」と書かれているのだ(最上位はエチオピア産)。「マグネシア」という土地で磁石が採れたことが分かり、地名語源説に有利な材料になるが、「ソタクス」という人物もその著作も容易には突き止められない。
ウィキペディアの英語版で、小アジアの2か所のマグネシアを再度調べた。すると、マニサでない方のマグネシア(Magnesia on the Maeander、イオニア地方のメンデレス川沿いにあった都市)の項に、「magnetという名は、Magnesiaで発見されたlodestoneから来ているのかもしれない」との記述があった。lodestoneとは、自然にできた磁石、つまり磁鉄鉱のことである。ここで磁鉄鉱が採れるのなら、このマグネシアがソタクスの言う「アシアのマグネシア」かもしれない。しかしソタクスは、「アシアのマグネシア産」のものは、「もっとも価値のない種類」で、「鉄を引く力をもたず軽石に似ている」と述べているとのことだ。
この文の脚注にPaul Hewitt, "Conceptual Physics". 10th ed. (2006), p.458 が紹介されている。この本は物理学の教科書としてポピュラーなものであるようだ。同著者の類似書籍と思われる"Conceputual Physical Science"(1994)の邦訳書である「物理科学のコンセプト」第4巻の「電気・磁気と光」を閲覧すると、物理学的解説のイントロダクションのように、「磁気magnetismの語源は、2千年以上も前にギリシャ人によって発見されたある特殊な石の産地であるエーゲ海の島の名マグネシアからきている。」とだけ触れられている。
この本で決着がつくかと期待していたが、逆に候補が一つ増えてしまった。エーゲ海には2500もの島があるそうだが、「マグネシア島」は見つからない。ウィキペディアの「スキロス島」の項に、「紀元前2000年頃からしばらく、この島は「マグネシア人の島」として知られていた。」との記述があるので、この島かもしれないが、磁石の産地だったとの情報はない。
結局一番それらしいのは、テッサリアのマグネシア、つまりプリニウスの引くソタクスが2番目にあげた産地ではないかと思われる。
となると、酸化マグネシウム(の原料となる滑石)も、磁石も、このマグネシアで産出したことによりその名前がついた、ということになる。ウィキペディアの「これには異説もある。」という記述が気がかりではあるが、これにて調査終了とさせていただく。
参考・引用資料
ランダムハウス英和大辞典 第2版第2刷 小学館 1994年
イオン 森進一訳、プラトン全集10 岩波書店 1975年
ギリシア悲劇全集12 伊藤照夫他訳、岩波書店 1993年
ギリシア悲劇全集 内山敬二郎訳、グーテンベルク21社(Googleブックスのサイトより)
プリニウスの博物誌 第3巻(原本の第36巻) 中野定雄他訳、雄山閣出版 1986年
物理科学のコンセプト第4巻「電気・磁気と光」第4刷 ポール・ヒューエット著 小出昭一郎監修、本田建訳、共立出版 1997年
ウィキペディア 2018.2.18 閲覧